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第1話 スカウトされ、商社勤務から、特務機関へ   


 1939年はじめ、上海にある日本の貿易会社に就職した私は、安徽省蕪湖出張所南京から長江を120キロ遡って、蕪湖に着任した。

 上海から届くマッチ、タバコ、砂糖、塩、布地、上海方面に送る米などの出し入れを管理する役目に就いた。現地には日本の商人が多数入り込んでいた。

 軍部の威を借りて物流を独占し、多額の利益を得ていたようである。現地の警備隊や憲兵隊の幹部達は商人から連夜酒色の饗応を受け、彼らに便宜を与えていた。

 一方、中国人を使役する際、人間扱いしない商人達も見かけた。「牛馬の如くこき使う」と言うが、実際にムチを振るって働かせる男までいた。勝利した国の占領者は何をしても構わないと言う風潮があった。18歳の私には到底なじめない世界だった。

 近くに‘陸軍特務機関蕪湖班’という、警備隊とは別の組織があった。
 そこの矢野班長と話しをするようになったので、「商人と軍部の癒着による不当行為が我慢出来ない」と訴えると、「そんな会社は辞めて特務機関に入れ」と、蚌埠(ぱんぷう)特務機関の原田大佐に推薦してくれた。

 そこで特務機関員補充募集のテストを受けたら、採用されることになった。私は会社をわずか4カ月で辞め、特務機関員となった。

  不思議な組織だった。機関長だけが軍人で、それ以外は民間人のまま。戦死した者だけが軍属にしてもらえると言う不安定な立場。

 しかし、原田機関長の人柄もあってか妙に自由な空気の組織で、機関長の前で陸軍批判を展開しても叱られることはない。元左翼の人間も多くいた。

 仕事は軍の裏方で、行政指導、経済安定、治安維持、情報収集などが主な任務だった。機関の運転手が当直中に酒を呑みに行ってしまうので、小規模な敵襲や事件の度に、私は車の運転を頼まれ重宝がられた。

 私は、先ず第一に必要な中国語の勉強に熱中し、やがて会話に不自由しなくなった。

 こうして敗戦まで特務機関で様々な体験をすることになったのである。

 
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by 1937-1945 | 2007-08-15 19:39 | 第1話 スカウトされ特務機関へ