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カテゴリ:第10話 修水渡河戦( 1 )   

第10話 修水渡河戦 日本軍、毒ガス使用   


 現地で除隊後、特務機関に採用された新入り者の中で一番年長だったのは、田中軍曹であった。物静かで明るく、誰にも好かれる彼は、新婚早々に残してきた妻を早く呼び寄せて、家族宿舎に入ることを望んでいた。

 そんな彼の経験談で印象に残る話がある。修水渡河戦の毒ガス使用である。

 川向こうに布陣する敵を前にして川を渡るのは、敵の攻撃を真っ向から受けるため、犠牲が多くなる。そこでガスと煙幕が用いられた。野砲でガス弾を打ち込み、しばらく時間を措いて煙幕に隠れて渡河した彼が見たのは、刺激臭の中、夢遊病者のように茫然と立ちすくむ数名の敵兵であったという。

 修水渡河戦以外、日本がガス弾を使用した話を聞かない。味方に被害が出ることを恐れたのではないだろうか。

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追記)

9月2日のNHK教育テレビETV特集「裁かれなかった毒ガス作戦」が、日中戦争中の日本軍による毒ガス使用の実態について、かなり詳しく説明をしていました。日本軍は、中国大陸で毒ガスを多用していたのです。

蒋介石の中国国民党に対する作戦として、呼吸器に影響を及ぼす”アカ筒”と呼ばれる毒ガスが、日中戦争が開始して間もない1938年5月に森田支隊が安徽省固鎮で、1939年に中谷さんが聞いた修水渡河戦で使用され、その後宜昌では体が腐るマスタードガスが使用されました。マスタードガスを使用するに当たっては、すでに731部隊が実験を済ませていました。

また、1942年頃には毒ガス使用はピークに達しており、毛沢東の共産党八路軍に対しては1942年5月に北坦村の防空豪(地下道)にアカ筒が投げ入れられ、800名以上の方が亡くなり、今も毎年慰霊祭が行われているそうです。

特務機関で普通の兵士が知りえない多くの情報に接していた中谷さんが修水渡河戦以外に、あまり毒ガス使用を耳にしなかったということは、毒ガスの使用が、秘匿された作戦であったことが想像できます。1899年のハーグ宣言、1907年のハーグ陸戦条約、1919年のベルサイユ条約で毒ガスの使用が禁止されていたからです。1942年には、日本軍に対して米軍が毒ガスで報復する可能性があると恐れた東条英機は、毒ガスを使用しない方向に指揮したとのこと。

しかし番組によると、米軍は蒋介石の国民党から日本軍の毒ガス使用の証拠写真や情報を多数乳していたにも関わらず、東京裁判では日本軍の毒ガス使用について、アイゼンハワーがキーナン首席検事に日本軍の毒ガス使用の免責を求めたために、結局毒ガスについての罪は問われなかったそうです。米軍は将来の戦争で毒ガス使用をする考えがあったため、日本軍の毒ガス使用を免責にしたということです。 (山上郁海)
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by 1937-1945 | 2007-08-25 15:03 | 第10話 修水渡河戦