「ほっ」と。キャンペーン

カテゴリ:第7話 敵軍・厳少佐との出会い( 1 )   

第7話 敵軍・厳少佐との出会い   


 蚌埠特務機関に復帰した私は、昭和19年春、対峙する敵、重慶軍第10戦区第7軍の情報を得る為に、「寿県に拠点を持ちたい」と上司のP情報主任に提案した。

 敵側に対する米軍の支援の状況、米軍の飛行場に関する情報等を得たかったのだが、「無駄だ」の一言で片付けられてしまった。

 そこで桜庭機関長に直訴したところ、「良かろう、やって見ろ。責任は俺が取る」と言ってくれた。
 P情報主任はさぞ不愉快だったことだろう。
 
 桜庭機関長は弘前出身の温厚な人物で、敗戦後、旅団長として戦争犯罪人容疑を受け収容されたが、彼の善行を申したてる中国人証人が多く、将官としてはただ一人無罪となって帰国した。

 彼の腹心、ニ村総務は、会津若松出身。弁舌鋭い熱血漢で、酒豪。
 二人は信頼厚い名コンビだった。

 桜庭機関長らの支持を得て、その年の秋、私は一人で寿県に赴任した。「昭和通商」という、得体の知れない会社の出張所に一室を借りて拠点とした。
(昭和通商は陸軍中野学校のダミー会社だったのではないかと思っている)

 そんな折、ニ村総務が「厳竹坡」という青年を紹介してよこした。

 彼が二重スパイである事を承知の上で、私は接触を続けていた。

 ある日、現地の商人の家で開いた宴会の席で、厳竹坡は、わたしと第7軍参謀「厳彩光」少佐を引き合わせた。

 厳少佐は日本軍を探る為潜入して来たスパイなのだが、突然、厳竹坡から

「この席に日本人が一人いるんだよ。誰だか当ててごらん」と言われ、顔色を変えて見回した。
 
 しかし分からない。

「私だ。お近づきのしるしに乾杯」と私が近づくと、彼は驚きを隠さなかった。

 東洋鬼(トンヤングイ)とか鬼子(グイズ)とばかり聞かされていた、恐ろしい日本人に初めて会ってみれば、自分たちと同じ人間に見え、話しが通じることに驚いたと言う。

 厳少佐は桂林の中学を出たと聞いていたので、「胡蘭成先生を知っているか?」と訊いて見たところ、「私の恩師をどうして知っているのだ?」と、彼は驚いた顔で聞き返した。

 桂林中学の教師をしていた胡蘭成は、南京で雑誌「苦竹」を出版した人物でもあり、歯にきぬ着せぬ鋭い文章で重慶と南京の両政府を批判していた。そのため、「苦竹」は第二巻まで出たところで、発行禁止処分になってしまったのだ。私はそれを読んでいた。

 私は厳参謀に、蚌埠に行ってニ村総務に会うように薦めた。
 
 対米戦をひかえていた我々の目的は、第7軍の内情を密かに探り、淮河上流から物資を買いつけることにあった。

 私を信用してくれた厳参謀をニ村総務に紹介した。厳少佐が希望する通り、ニ村総務は南京・上海の旅行をさせた。

 厳少佐は南京で胡蘭成先生を探したが、見つからなかったそうだ。
[PR]

by 1937-1945 | 2007-08-17 09:47 | 第7話 敵軍・厳少佐との出会い